2011年1月16日日曜日

twitter最適化脳

つぶやくのはけっこう難しい。
何かを「表現してやろう」としてない人の方が、つぶやきとしての純度が高い気がするなあ、となんとはなしに思った。

速報性があり、オチがなく、個人的で、情報としての価値が低く、でも、なんとなくいいなあと思うつぶやきというものがある。そういうのを「純度が高い」と勝手に言っている。

もちろん、わざわざツイッターのアカウントをとって、ウェブサイトに飛ぶか携帯なりなんなりのアプリを起動して、送信する手続きを踏んでから「つぶやいて」いるわけだから、純度が高いと言っても、本当にピュアな「無意識的に出てしまった一言」とは根本的に違う。なのにそう思わせるところに感じ入る。ほとんど発句の世界。松尾芭蕉がずっと考えていたようなこと。「いかに技巧を凝らした浅ましさのような域を越えて、素直な心の動きようを短い言葉の連なりによってとらえ得るか」というようなことを考えるような人は純度の高いつぶやきをする事がもっとも困難な人種だろう。

アマチュアの強み、というのは前提としてある。ためになることを言うことで自分のステータスを上げようとか、言語表現で飯を食ってるから下手なことは言えないとか、そういう邪心やシガラミから離れていれば、それだけ思う様つぶやけるわけだから。それにしても、それだけで素敵なつぶやきができるものだろうか。「twitter最適化脳」というような物がある気がしてならない。デジタルネイティブで、各種ガジェットに触れている状態こそが「素になれる時間」のような人は、純度の高いつぶやきをする素質に恵まれているかもしれない。


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