
「ホロコーストを人形劇で表現」
という触れ込みを聞いていたので、相当の覚悟を持って行った。
非常に緻密なデザインの模型と人形の動きがありながら、強制収容所というシステムが人間性を奪っていく過程を抽象的に表現することに成功していた。(ナチスは残酷だったとか、個別の集団に責任を負わすのではなくて、自分たち人間がみな持っているリスク、として見ることができた)。
具体的な事象を抽象化して表現するという技術は非常に高度だ。それはたとえば、シマシマの囚人服が脱がされると、ジェルでつくられた透明の体が姿を現すとか、そういう非常に細かい演出の積み重ねによってしかなしえない。
あと、これはアフタートークによって知ったこと。収容者同士の会話を再現しようとした(たとえば、ここから出られないと絶望しないように、料理のレシピについてアイデアを出し合ったなどの、生存者の証言から伺い知ることのできる会話)が、リハーサル中にそれは「機能しない」としてすべて削除されたとのこと。結果、作品は「サイレント映画のようになった」とのことだった。もともと、舞台上の人間によってオペレートされた人形たちのパフォーマンスなのだから、セリフをしゃべるかどうかについては意識を払っていなかった(セリフは無いと思っていた)のだが、ことはそんな単純なことじゃなかった。ほかにも、製作過程における準備のエピソードがいちいち本質的だった。脱帽。
ジオラマのような模型、人形劇、人形劇をCCDカメラで撮影して大きなスクリーンで投影。といった要素はすべてリアルタイムでその場で行われているのだが、音(人形の動作ひとつひとつに臨場感をあおるような音が添えられていた)はどうしているのだろう。というのが気になるところだったので、アフタートークが終わったあと音響効果担当の人と話した。私は、音はすべて、あらかじめ作られたものをきっかけにあわせて再生しているだけだと思っていたのだが、聞いてみると、BGM以外のほとんどの音響効果は、テーブルの上にあるいろいろな素材を使ってその場で出していたということだった(雨の音を小豆で出す職人さんのように)。音声というのが、プロパガンダとして非常に強く作用していた頃(ナチスの台頭とラジオの普及には相関関係があったとの見方がある)の作品だから、音はあえて「持ち込んだもの」にしてるのかな、とうがって見ていたのだが、違ったようでした。

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